皇位継承と「三種の神器」は同意継承に!即位の5儀式と「三種の神器」とは?
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皇室行事「大嘗祭(だいじょうさい)」についても前回の政府見解を踏襲。
宗教的性格を考慮して国事行為とはしないものの、皇位継承の重要儀式だとして公費は支出する方針を閣議了解した。
基本方針によると、天皇陛下の退位の礼である「退位礼正殿(せいでん)の儀」は、退位日の2019年4月30日。
皇太子さまの即位の礼は5儀式から成り、神器などを引き継ぐ「剣璽(けんじ)等承継の儀」と、天皇として最初のおことばを述べる「即位後朝見の儀」は同5月1日、即位を国内外に宣言する「即位礼正殿の儀」と、即位を披露するパレード「祝賀御列(おんれつ)の儀」は同10月22日など。
秋篠宮さまが皇位継承順位第1位の皇嗣(こうし)となったことを示す「立皇嗣(りっこうし)の礼」は、20年に執り行う。
「憲法の趣旨に沿い、かつ皇室の伝統などを尊重したものとする」として、憲法との整合性を図ることも明記された。
前例踏襲の理由としては「平成の代替わりの式典は、現行憲法下で十分な検討のうえで挙行された」と強調した。
即位の儀式の5儀式とは
皇嗣が新たに皇位に就くことを「即位」というが、古代では神へ寿詞(よごと)を奏上し、神璽を献納する事を中心とした、簡素なものであったが、平安時代に「皇位の継承」である「践祚」と「即位」が別の儀式として行われるようになり、唐風の儀式が江戸時代まで続いた。
即位にかかる儀式全般を即位儀礼というが、これは皇嗣が即位する「践祚の儀」と即位したことを内外に宣下する「即位の礼」に分かれる。
明治時代の1889年(明治12年)に制定された旧「皇室典範」に属する登極令によって儀式の内容が細かく規定されたが、1947年(昭和22年)に、同令は旧皇室典範と共に廃止となった為、現行の新「皇室典範」でも即位の礼を行う定めがあるにも拘らず、内容についての具体的規定は無い。そのため、大嘗祭をどの様に行うのか、昭和天皇の崩御前後から、様々な(政治・思想的)立場から論議が起きた。
明治維新による近代化以降の現代に至る、明治時代・大正時代・昭和時代・平成時代と、他の重要な「皇室慶弔行事」と同様に、即位の礼の挙行日は、その年限りの祝日となることが慣例となっている。
大日本帝国憲法下で即位の礼を行った大正天皇と昭和天皇の時には勅令により、日本国憲法下で即位の礼を行った今上天皇の即位の礼の時は法律によって、祝日として定められた。
今上天皇以来、即位の礼は「剣璽等承継の儀」、「即位後朝見の儀」、「即位礼正殿の儀」、「祝賀御列の儀」、「饗宴の儀」の5つの儀式から構成され、これらは全て国事行為である。
剣璽等承継の儀
剣璽渡御の儀は、天皇が譲位・崩御の後、皇位継承者(皇嗣)が践祚の際に皇位継承の証として剣と璽を受け継ぎ、新天皇となる儀式である。
神体である剣と璽が新帝の下に自ら動くという建前から「渡御」(神・天皇等が「渡る」ことをいう尊敬語)という表現がとられる。
この儀は、新天皇を国民や外国に公にする為の即位の礼とは違い、天皇崩御の直後に行われる。
即位後朝見の儀
国事行為。新天皇が、はじめて声明を発表する(宮中の正殿(松の間)で行われ、天皇は御正装で皇后はローブ・デコルテ(中礼服)を召して出御。
践祚後初めて群臣に朝見をし、勅語を賜う。その後、内閣総理大臣の奉答がある。
即位礼正殿の儀
今上天皇が即位した際、1990年(平成2年)11月12日に挙行された今上天皇の即位の礼の中心儀式の名称を「即位礼正殿の儀」と定めたのが初例。
かつて天皇の即位礼は京都で挙行され、特に明治天皇から昭和天皇までは即位礼紫宸殿の儀と称した。
正殿の儀も紫宸殿の儀もどちらも天皇が自らの即位を国の内外に宣明する儀式であり、諸外国のいわゆる「戴冠式」や「即位式」に当たる。
このため国内外から賓客が招かれ、特に国外においては国家元首あるいは首脳が参列する。参列者は正殿に相対する長和殿の春秋の間に着席する。
この時中庭に仮設ステージを設け、春秋の間に入りきらなかった出席者分の席を確保して全員が儀式を見学できるようにした。
正殿中央には階段が設置され、中庭には幡旗が立てられ、文官武官の装束を身につけた総理府、宮内庁職員が「威儀物捧持者」として整列する。
正殿松の間には高御座、御帳台がしつらえられ、男性皇族(皇太子・親王)と三権の長らは高御座左側に、女性皇族(親王妃・内親王)が御帳台右側に並ぶ。
祝賀御列の儀
天皇がご即位を公に宣明されるとともに,そのご即位を内外の代表がことほぐ儀式。
饗宴の儀
ご即位,立太子,ご結婚などを披露され,祝福を受けられる祝宴。
継承される「三種の神器」
天皇の践祚に際し、この神器のうち、八尺瓊勾玉ならびに鏡と剣の形代を所持することが皇室の正統たる帝の証しであるとして、皇位継承と同時に継承される。
だが即位の必須条件とはされなかった場合もあり、後鳥羽天皇などは神器継承なしに即位している。
『古語拾遺』によると、崇神天皇の時、鏡と剣は宮中から出され、外で祭られることになったため、形代が作られた。
現在では草薙剣は熱田神宮に、八咫鏡は伊勢の神宮の皇大神宮に、八咫鏡の形代は宮中三殿の賢所に、それぞれ神体として奉斎され、八尺瓊勾玉は草薙剣の形代とともに皇居・吹上御所の「剣璽の間」に安置されている。
しかし同皇居内に皇族らが住みながらその実見は未だになされていない。
八咫鏡(やたのかがみ)
記紀神話で、天照大神が天の岩戸に隠れた岩戸隠れの際、石凝姥命が作ったという鏡。天照大神が岩戸を細く開けた時、この鏡で天照大神自身を映し、興味を持たせて外に引き出し、再び世は明るくなった。のちに鏡は天照大神が瓊瓊杵尊に授けたといわれる。
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
八坂瓊曲玉とも書く。
大きな玉で作った勾玉であり、一説に、八尺の緒に繋いだ勾玉ともされる。
岩戸隠れの際に玉祖命が作り、八咫鏡とともに榊の木に掛けられた。
草那藝之大刀(くさなぎのたち)
草薙剣(くさなぎのつるぎ)の旧名で、古事記では草那藝之大刀と記される。
記紀神話では須佐之男命が出雲・簸川上(ひのかわかみ、現島根県安来地方の中国山地側、奥出雲町)で倒したヤマタノオロチの尾から出てきた剣。
後、ヤマトタケルノミコトが譲り受け、移動中、周りを火で囲まれたとき、姫を守るため自らの周りの草を薙ぎ、火打石で草を焼いたとき帯刀していたことから予定調和の剣とされる。
静岡県「焼津」の地名はこのとき草を焼いたことによる。
三種の神器はどこにある?
八尺瓊勾玉⇨宮中の天皇の寝室の横にある「剣璽の間(けんじのま)」に神櫃という箱の中に安置されています。
八咫鏡⇨伊勢神宮にアマテラスオオミカミのご神体として祀られています。レプリカは皇居の中の宮中三殿の賢所(かしこどころ)に奉安されているそうです。
草薙の剣⇨熱田神宮に祀られています。こちらもレプリカは「剣璽の間(けんじのま)」に保管されています。
三種の神器に税金がかかる?
天皇継承の際に同じく継承される「三種の神器」には相続税が一般と同じようにかかると言うことですが、今回は生前退位の継承なので贈与税に当たるそうです。
「三種の神器」は相続税だと非課税なのですが、今回は贈与税に適応されるので議論されていましたが、結局は非課税になったそうです。
神器と呼ばれているほどのありがたい物に税金やお金に換算する俗な考えをしてしまうとバチが当たりそうですけどね、、、